画像 |
作品について |
管理番号 |
185106 |
作者 |
竹内栖鳳 (重文作者) |
作品名 |
稲穂 |
技法 |
絹本色紙に金泥 |
サイン |
左下に落款・印章 共箱(額仕様) |
作品サイズ |
27×24p |
額サイズ |
47 X 43cm |
作品コンディション |
僅かながらしみが見られますが概ね良好です。 |
額コンディション |
概ね良好です。 |
箱 |
共箱あり |
真作保証期間 |
有り。真作ですが万が一、所定鑑定家に贋作判定された場合にはお買い上げ日から保証期間(2年間)内にご連絡いただければご返品・ご返金に応じます。 |
作者略歴 | 元治元(1864)年:京都に生まれる。 明治10(1877)年:四条派の画家・土田英林に入門。 明治14(1881)年:四条派の大家・幸野楳嶺に入門し、「棲鳳」の号 を授かる。 明治22(1889)年:島屋意匠部に勤務、その後も顧問としてかかわ る。 明治25(1892)年:京都市美術工芸品展に《猫児負暄》を出品、その 筆法から鵺派と評される。 明治28(1895)年:京都市美術工芸学校教諭となる。 明治33(1900)年:パリ万国博覧会視察のため渡欧、各地の美術館 や美術学校を視察。 明治34(1901)年:帰国、第7回新古美術品展に《獅子》を出品、雅号 を「栖鳳」とする。 明治40(1907)年:文部省美術展覧会(文展)始まり、審査員となる。 大正2(1913)年:帝室技芸員となる。 大正7(1918)年:弟子の土田麦僊らが結成した国画創作協会の顧 問となる。 大正9(1920)年:弟子で娘の夫でもある西山翠嶂、京都市立絵画専 門学校教諭で若手画家に最先端の西洋美術思潮 を盛んに紹介した美学者の中井宗太郎らとともに 中国を旅行する。 翌年も訪中。 大正13(1924)年:フランス政府より、日仏間の文化交流の発展に尽 くした者に贈られるシュヴァリエ・ド・ラ・レジオン・ド ヌール勲章を受ける。 昭和6(1931)年:肺炎の療養のため湯河原へ赴く、以降京都と頻繁 に行き来する。 昭和12(1937)年:文化勲章受章。 昭和17(1942)年:肺炎のため湯河原にて歿する。 |
作者作品の作品の所蔵先 |
東京国立近代美術館、京都市美術館(重文)、山種美術館(重文)、東京国立博物館、京都国立近代美術館、三の丸尚蔵館、他 |
備考 |
稲穂の画題は栖鳳が得意とする一つです。動物を描けば、その匂いまで描くといわれた達人で名実共に京都画壇の筆頭としての地位を確立した人と言われています。 作者の外部リンクについてはこちらをご参照ください。 |